見える世界を繋ぐ役割
呼ばれないと行けない神社
そう言われると
とても特別感があって
偶然にも行くことになったこの週末です
”呼ばれているという自覚を持つ”
それは特別であり
選ばれているという自覚をする感覚
特別な自分である自覚を
自分に許可する勇気なのかな
とも感じた
と同時に
何かを望んだから
呼ばれたのかな?と
玉置神社は
悪魔退散の神社とも言われている
何を望んだろうだろうと
振り返ったら
去年の夏至に陽転を望んだ
そこから
偶然にも天岩戸に行くことになった
去年の夏
そして
今年は出雲に行きたいという
夫の願いを叶えるべく
出雲大社に訪れ
これまた偶然にも
宿泊先の近くには
美保神社があったりした
そして先日は
またまた夫の要望の
天河神社に行ったところ
またまた偶然にも
玉置神社に行くことになった
陽転を望んだ流れの先に
必要なひとつ一つを踏んで
悪魔退散の神社という場に
呼ばれたのかな?という氣がした
陽転したエネルギーを
維持するための
悪魔退散、邪気払い
そして、穢れから護る
呼ばれたというのは
特別でもなんでもなく
何かを意図したことによる
コール&レスポンスのようなものかと
そのタイミングが合えば
呼ばれるようになる
それは
待合室で次の順番待ち
名前を呼ばれて返事をするような
そんな感じかなと
特別な自分に自覚を持つというのは
意図していける自分に
ちゃんと敬意を払う
今とは違う自分になれる特別な自分に
わたしがわたしを認めて許可する特別なんだろうと
願ったことをちゃんと
カタチにしたことを
神様がサポートしてくれる
宇宙との共同創造は
肉體を持ったわたしたちの
お役目を果たすこと
そのお役目は
自分が望んだことであり
自分が動くことであるのだと
見えない世界と
見える世界を繋ぐ役割
もっと自由に
もっと望んで
もっと体験して
地球を謳歌して
そのエネルギーを広げていく
遊ぶことがお役目
みんなが特別
それは
誰かに特別だと言ってもらうのではなく
自分が自分を認める勇気と強さだと思う
私はわたしを特別だと確信している
と同時に
それはわたしの周りの全てが特別だと
認めていることである
わたしに敬意を払うは
全てに敬意を払う
そして、尊厳を持つことだ
堂々と胸を張って
自分で宣言すればいい
清々しいのです