新しいフライパンに想う
少し手のかかる調理器具を買いました
材料は常温にして
予熱でしっかりと温めて
丁寧に順序よく使う
フライパンをよく焦がしてしまう
それは
早く仕上げようと
無意識に急いでしまう
慌てる必要は何もないのに
何かに急かされるように
早く早くと
頭の片隅でセカしてくる存在
潜在的に早くしようとする
私の意識の背景には
いろいろな要因が含まれていますが
物理的に時間に余裕ができてきた今
頭の中の声は一旦無視して
体をそれに慣れさせていく必要があると感じ
あえて
手のかかる調理道具を買いました
手にするだけで
気持ちが上がる
シンプルで美しいデザインの
zwillingのフライパン
料理の工程を一つひとつ丁寧に
そんなとき
気分が上がるお気に入りの道具は
とても強い味方になります
振り返れば
常に先のことを考えて生きていました
実際、若い頃は
人の三倍くらいの速さで
物事をこなすことができました
それは
仕事に限らず
普段の生活の中でも
常に段取りと物事の優先順位を瞬時に計算して
次にどう動くと効率的で無駄がないのか?
それはとても大切なことだけど
それだけのループが続くと
私は何をしているのだろう?と
その次の次の次に何があるのだろう?
次を追い続けて「今」が消えてしまっている
ふと、そんなことに気づいた数年前
年齢と共に
ペースダウンしたものの
私の頭の中の声は私をセカします
反射的に体がそのモードに入ろうとします
でも、今
時間に余裕ができて
私自身をコントロールする術も手に入れて
少しずつ感覚が掴めてきました
日頃の生活の中に
常に「今」にある癖付け
ゆったりと丁寧に
ご飯の準備….
そう、これをテキパキやろうとする
段取りよく、サクサクと、手際よく
大切なことだけど
大切な何かが抜けていた
機械的に仕事的に作るのではなく
道具を知って
素材を知って
その音や匂いや感覚を
常に感じながら料理する
動瞑想
それに加えて
ハッとさせられた先日
”ご飯の時間
少しくらい遅くても大丈夫だよ”
という夫に
ああ、
早く作らなきゃ
怒られる
そんな脅迫観念が
私の中にあったのかもしれない
でも、もう大丈夫だ
日常にあった
たくさんのやることを
どんどん削ぎ落としていったら
時間という余裕もできたし
もう、走って生きることはしなくてもいい
そして、脅迫観念の裏側に
もう一つの隠れた力
向上心
向上心が高いと
常に先へ先へと
自分を追い立てて
消耗しがちだけど
向上心のベクトルを変えてあげればいい
少しスピードを落として
振り向いてできたこと
やれている自分を褒めてあげること
誰も怒らないし
誰の迷惑にもならない
十分にやっている
安心すればいいし
もう必要以上に走る必要もない
物質社会で
追われるように生きてきた
生き抜くための鎧は
もう脱いでもいい
頼られる男前の女子
長女体質の女子
自分で言うのもなんだけど
私はそういうタイプ
だから
そんなタイプの人の気持ち
よくわかるつもりです
自分に優しくね