一つかみの砂金
科学的根拠はあるんですか?
そう、以前の私もそうだった
そこが既にポイント
科学的根拠を信じている
自分への気付き
・
とある本にあった
[知ること]は[信じること]
[それを知ること]は存在を認識し
[在ること]にする
それはすでに信じることだ
逆に
[それを知らないこと]は存在を認識できず
[無いこと]になる
それはすでに信じられないことだ
勉強や学びはとても大切な事だけど
一歩間違えると
[知ること]は[在ること]として存在し続ける
[知ること]は[信じること]に繋がる
[知ること]は[信じること]になった後に
無意識的に[正しさ]に変わる可能性がある
ここに危険性が伴うのだと
だから
知らないこと=無いこと
[正しくないこと]になりやすい
当たり前に在ることは自分が信じていること
だから、全てが存在している
・
知ることを重ねていく教育
これを置き換えたらどうだろう?
知ること=在ること=信じること=正しさ
気をつけないと
学校、教育、学びの裏のカラクリにハマってしまう
本当の学びは学びの中から
新しい存在を見つけていくことだと思う
それが想像力を育てることで
クリエイションしていくこと
それがヒトの脳が持っている素晴らしい美点
そして
知らないことを学んで知ることに変えていくを
自分に当てはめてみよう
知らない自分を知ることは
自分が在ること=自分を信じること=自分の正しさ
この正しさはイノセント、そして自分という存在の肯定だと私は思います
あなたはどう思いますか?
太宰治の「正義と微笑」より
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても
その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
丸山敏雄ー万人幸福の栞ーより
学問は信じすぎるも愚かであり
軽蔑するも馬鹿である