祈りの力を信じますか?
このところ過去の色々な事を思い出す。
それは、車の免許を取り立ての20才の頃の出来事でした。はじめて乗った車は完全マニュアルのパワステなし、エアコン無しの中古のVWGOFLでした。
免許を取り立ての私は、高校の同級生と一緒に母校に行こう!ということになり、私の車で母校にいきました。卒業してからあまり時間も経っていないので、そこまで懐かしさはありませんが、車であまり遠出もしないので、気持的にはワクワクです。校舎を見て回ったり、先生と話をして、さて帰ろうかと駐車場に行き、車に乗ってバックをしたところ、なんと!なんと!のお約束通り、隣の車にぶつけてしまいました。
携帯電話もない頃です。この事態をどうしよう?と途方に暮れていたその時です。何故だか、物凄い形相で私の父親が車で駐車場にやってきたではありませんか!そして、[大丈夫か?怪我はないか?]と慌てた様子で聞いてきます。え?あ?や?今ちょうど隣にいた車にぶつけてしまったんだけど…どんなタイミング?なんで?とバッチリのタイミングと、何故だから事故を知っている父親に私は驚きます。
私たちの無事を確認すると父親サイドからの状況を聞きました。
どうやらこの日、朝から母親が”とある人”に会いに行っていたらしく(いわゆる見える人)。そこで私の事を見てもらったら[今日、東の方向で大きな事故をするから][事故を防ぐために祈祷します]と言われたそうで、それを聞いた母親は、慌てて家に居た父親に電話で連絡をしたら、[私が実家から東にあたる母校に車で行った]という現実があり、[東の方向で大きな事故]がドンピシャ過ぎて心配になって来てみたら、私は[隣の車にぶつけちまったよ]という状態になっていた。という事でした。
私が隣の車にぶつけて[あちゃぁ]と思っていたパラレルには、何故だかタイミングよく、[その日その時]に母親が[みえる人]の所に行っており。何も知らない私は、タイミングよく登場した慌てた様子の父親に[なんで知ってた?]と驚くばかりでした。でも、その裏には事故を見通して祈祷してくれた誰かがいてくれたから、これくらいの事故で済んだのだろうと、今でも信じています。
人はもしかしたら見えない誰かに支えれてて生きているのかもしれません。そして、祈りという想いは人を救う力を持っているのだと、最近は強く理解するようになりました。
皆さんはどう思われますか?