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深淵をのぞくとき


夏至の陽転で出遭ったモノ

言いようのない甘美な憐憫さをエネルギーに
強烈に一瞬で引き込もうとするそれ

見えない世界と
見える世界を繋ぐ

深淵

この夏
私が見せられたモノの姿

対峙した存在

愛おしいような悲しさと
美しさを持ちながら
引き摺り込む

いや
それは
興味本位で立ち入るべからず

内にある
更に奥の住人
この世界を支配すもう一つの力

深淵をのぞくとき
深淵もまたこちらをのぞいているのだ

怪物と闘う者は
その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ
おまえが長く深淵を覗くならば
深淵もまた等しくおまえを見返すのだ

深淵(しんえん)とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。英語の“abyss”に対応する。 新共同訳聖書では創世記に登場する単語テホム(en:Tehom)の訳語として用いられている。

フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。これから連想が進み、ヨハネの黙示録のアバドンといったイメージになった。カバラの学者は深淵をマサク・マヴディルと表現し、落伍者の行き着く場所と解釈している。

冬至を前に
夏至の答え合わせがやってくる

光を抱くと共に
強烈な虚無も抱いて
生きていくのだと

それすら愛して
陰陽は慈愛となる

動かぬ場所でループする
闇に
静かに眠らせ、私は光る

共にある

世は孤独でいて愛だ

だからこそ
力の限り
美しく悦びに満ち生きていく

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